Review
-北小路隆志(映画批評家)
信心深いクリスチャンにして優れた知性の持ち主である青年ジェイムズが、生まれ育ったアフリカの小さな村で次の司祭に任命され、村を代表してエルサレムへの名誉ある聖地巡礼の旅に出発する。期待に胸を膨らませてイスラエルの地に降り立つジェイムズだが、空港に到着したとたんパスポートを押収されて留置所へ。ジェイムズに対して入国審査に当たる女性職員はこんな具合に冷たく言い放つだろう。“アメリカかドイツ、フランスへ行って働きなさい、ここは神に見離されているわ”。イスラエルの人々にとってアフリカから来た若者は、不法滞在での金儲けをもくろむ“外国人労働者”としか映らないようだ。結局、そうした外国人労働者を集めて財をなす手配師であるシミに仕えることで完全に資本主義に支配されたイスラエルでの生活を始めるジェイムズは、皮肉にも金儲けを中心に置き、誰もが他人に利用されたり、出し抜かれたりすることを恐れる資本主義社会においてもその才能を発揮させていくかのようだ……。
“外国人労働者”はイスラエル映画で頻出する主題だが、この映画ではそうした深刻な問題をどこまでも明るくて軽快なテンポの語り口で小気味良く扱う。
当初、純粋な心の持ち主であるジェイムズは、自分に振りかかった予期せぬ災難を神からの試練として引き受けようとする。報酬を与えようとするシミらに対し、それを断ったうえで“ラクダが針の穴を通るより、金持ちが天国へ行くのは難しい”といった言葉を口にするジェイムズに、僕らはどこまでも時代錯誤的でありアナクロニズムのユーモアめいたものを感じる。しかし僕自身、初めて真夜中のテルアヴィヴの空港に降り立ち、自動車でエルサレムに向かう途中、ほとんど暗闇に包まれた外部の光景を窓から眺めながら信心のかけらもないのにある種の感懐を覚えずにいられなかった。僕は今“約束の地”に到達している……と。おそらく聖書の記述などを背景とするイスラエルは、さまざまな意味でアナクロニズムの国であり、多層的な時間の集積めいた国なのだ。聖なる約束の地にして先端的な、あるいはグローバルな資本主義的欲望が渦巻く土地でもあるイスラエル……。この映画は、そんなイスラエルの多層的な歴史に踏み込む寓話であり、僕らは共感をもってジェイムズの旅の行方を見守らずにいられなくなる。はたして彼は聖地にたどりつくことができるのか? 現代社会において聖地とはどこにあるのか?
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